第14話 玉藻の前(Tamamono-mae)

妖怪古伝14回目の放送

今回の妖怪は「玉藻の前(たまものまえ)九尾の狐、白面の者、殺生石」

今回のオリジナルストーリーは長編、色々な登場人物(マンガキャラ含)、

今持っている喋り、音声・効果音スキル全開でお送りいたします。

玉藻前(たまものまえ)は、平安時代末期に鳥羽上皇の寵姫であったとされる伝説上の人物。

妖狐・九尾の狐の化身であり、正体を見破られた後、下野国那須野原で殺生石になったという。

幼い頃は子に恵まれない夫婦の手で大切に育てられ、美しく成長した。

18歳で宮中で仕え、のちに鳥羽上皇に仕える女官となって玉藻前(たまものまえ)と呼ばれる。

その美貌と博識から次第に鳥羽上皇に寵愛されるようになった。

しかしその後、上皇は次第に病に伏せるようになり、朝廷の医師にも原因が分からなかった。

しかし安倍晴明の子孫、陰陽師・安倍泰成(あべのやすなり)が玉藻前の仕業と見抜く。

安倍が真言を唱えた事で玉藻前は変身を解かれ、九尾の狐の姿で宮中を脱走し、行方を眩ました。

その後、栃木県の那須野で婦女子をさらうなどの行為が宮中へ伝わり、鳥羽上皇は討伐軍を編成。

NHK大河ドラマ、鎌倉殿の13人で有名な上総介広常(かずさのすけひろつね)、三浦介義明(みうらのすけよしあき)らをを将軍に、

陰陽師・安部泰成を軍師に任命し、軍勢を那須野へと派遣した。

那須野で、既に九尾の狐と化した玉藻前を発見した討伐軍はすぐさま攻撃を仕掛けたが、

九尾の狐の妖術などによって多くの戦力を失い、失敗に終わった。

上総介らをはじめとする将兵は騎射を訓練し、再び攻撃を開始する。

対策を十分に練ったため、討伐軍は次第に九尾の狐を追い込んでいった。

九尾の狐は貞信の夢に娘の姿で現れ許しを願ったが、貞信はこれを狐が弱っていると読み、最後の攻勢に出た。

そして三浦介が放った二つの矢が脇腹と首筋を貫き、上総介の長刀が斬りつけたことで、九尾の狐は息絶えた。

その後、九尾の狐は巨大な毒石に変化し、近づく人間や動物等の命を奪うようになった。

そのため村人は後にこの毒石を『殺生石』と名付けた。この殺生石は鳥羽上皇の死後も存在し、周囲の村人たちを恐れさせた。

鎮魂のためにやって来た多くの高僧ですら、その毒気に次々と倒れたが、南北朝時代、玄翁和尚(げんのうおしょう)が殺生石を破壊し、

破壊された殺生石は各地へと飛散したといわれる。

玉藻前の経歴は中国古代王朝殷にまで遡る。

殷の最後の王である紂の后、妲己の正体は齢千年を経た九尾の狐であり、王の妾であった寿羊という娘を食い殺し、

その身体を乗っ取って王を惑わせたとされる。

王と妲己は酒池肉林にふけり、無実の人々を炮烙の刑にかけるなど、暴政を敷いたが、周の武王率いる軍勢により捕らえられ、処刑された。

またこの処刑の際に妲己の妖術によって処刑人が魅せられ首を切ることができなくなったが、

太公望が照魔鏡を取り出して妲己にかざし向けると、九尾の狐の正体を現して逃亡しようとした。

太公望が宝剣を投げつけると、九尾の体は三つに飛散した。

しかしその後、天竺の摩竭陀(まがだ)国の王子、斑足太子(はんぞくたいし)の妃華陽夫人として再び現れ、

王子へ千人の首をはねるようにそそのかすなど暴虐の限りを尽くしたが、耆婆(きば)という人物が夫人を魔界の妖怪と見破り、

金鳳山中で入手した薬王樹で作った杖で夫人を打つとたちまち九尾の狐の正体を現し、北の空へ飛び去って行った。

周の第十二代の王、幽王の后、褒姒も九尾の狐とされる。褒姒がなかなか笑わないので、幽王はさまざまな手立てを使って彼女を笑わそうとし、

ある日何事もないのに王が烽火(のろし)を上げ、諸侯が集まったという珍事に初めて笑ったといわれ、

それを機に王は何事もないのに烽火を上げ、諸侯が烽火をみても出動することが無くなり、

後に褒姒により后の座を追われた申后の一族が周を攻めたとき、王は烽火を上げたが諸侯は集まらず、王は殺され、褒姒は捕虜にされたが、

いつの間にか行方知れずとなっていた。後に若藻という16歳ほどの少女に化け、吉備真備の乗る遣唐使船に同乗し、来日を果たしたとされる。

妖怪古伝 ~youkaikoden~

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